宗教改革の精神 2014 8 2
ムスリム(イスラム教徒)は、
「なぜ、我々は、西欧より遅れてしまったのか」という思いが強いでしょう。
しかし、西欧にも、「暗黒の中世」と呼ばれた時代があったのです。
この時代は、文明的にも停滞、いや後退すらあったのです。
それは、貨幣の歴史を見れば、わかるのです。
ローマ時代には、優れたデザインのコインが多かったのに、
中世に入ると、粗雑なコインが多くなってしまったのです。
そんな西欧にも、劇的な転機が訪れたのです。
ルターやツヴィングリ、そしてカルヴァンの出現でした。
彼らの宗教改革によって、キリスト教は新しいものになったのです。
新しい時代を支える精神として、キリスト教は生まれ変わったと言えるでしょう。
歴史を振り返れば、イスラムが世界の中心だった時代があるのです。
9世紀の前半に、アッバース朝のカリフ・マームーンは、
バグダードに、「バイト=アルヒクマ(知恵の館)」を建設しました。
ここに、多くの学者を集めて、ギリシャ語等の学問を、
アラビア語へ翻訳したのです。
こうして、多くのムスリムは、
ギリシャの医学、天文学、幾何学などを学び、
イスラム文明の基礎を築いたのです。
しかしながら、今のムスリムにとって、
いまさら、西欧文明を学びたいという気持ちにはなることができないでしょう。
イスラムが、もう一度、復興するチャンスがあります。
それは、イスラムにおいて、「日本に学べ」という運動が起こる時です。
イスラムが「日本文明」を吸収できた時、再び、栄光は戻るでしょう。
時計の針 2004 7 11
サダム・フセインは、敬虔なイスラム教徒とは言えなかったのです。
かなり世俗化していたのです。
世俗化の代表例が、サダム・フセインだったとも言えます。
しかし、世俗化の代表例だったサダム・フセインが、
イラク戦争に負けたことで、
時計の針が、逆戻りするかもしれません。
なぜならば、敬虔なイスラム教徒は、こう考えるかもしれません。
「サダム・フセインは、世俗化したから、戦争に負けたのだ。
だから、イスラム教徒は、イスラム教の原点に戻るべきだ」
こうして、イスラム教原理勢力の力が強くなっていくと思います。